2016年4月27日水曜日

2016.4.25(月) 勾留理由開示公判 Bさんの意見陳述

 4月25日(月)、東京地裁で開かれた勾留理由開示公判における、Bさんの意見陳述を掲載します

 Bさんは冒頭、「みなさん、お元気でしょうか? 疲れていないか心配しています」と傍聴席に語りかけたのち、裁判官に相対し、しっかりとした口調で約10分間にわたり意見を述べました。日本近現代における野宿労働者差別、身分差別を弾劾する、実に感動的なものです。ぜひご一読ください。

 ※「乞食」など、もっぱら差別の意図を含んで使用される文言を含んでいますが、Bさんの主張において、身分差別を弾劾する目的で使用されていることが明白であり、文脈において必要な表現であると判断し掲載します。


【意見陳述】


 私が、なぜ野宿・日雇労働者運動にとりくむのか理由を述べます。

 失業者の存在を前提にして成立している労働市場において、幼少期からの人格支配を通じ私たち労働者は過当に職の獲得競争にさらされています。その反動でか、失業者に対する労働者の間での目線もとても厳しいものがあります。人より一円でも高い所得を得て、一円でも安く商品を買いたいという市民としての感情は、労働市場でも同じ作用をはたらき、自らよりも劣位な条件で就労している労働者の状態に恐怖を抱くことにより、自分の優位というものを確認し、そのことで労働力を再生産せざるを得ないことを、私たち労働者は身をもって知っています。すなわち、資本主義は私たち貧しい労働者を必要とし、そんな私たちの人生は悲惨なものでなくてはならぬと体制は常時圧力をかけつづける。この市民社会とは、私たちを差別する事なしにはやっていけない宿命を背負い、成立してしまっています。ではどうしたらいいのか、これは後で述べます。

 私は、現代において身分制によらない乞食や浮浪者というおこないを一切否定しない立場ですが、一般市民の間では、憎しみすらこめられた、罵倒語です。明治維新後の弾左衛門制度が解体され、それまでの各種業務独占権が市場原理にシフトして、大日本帝国本国人の間での身分性差別は旧穢多身分が住まう地区として奉行などから指定された場所に対する、すなわち部落差別へと変化しました。弾左衛門配下の非人頭、浅草の車善七や代々木の久兵衛などの下に所属していた非人小屋も解散させられ、御用勤めや芸能や物乞いの職を失った旧非人身分や無宿・野非人たちは、貧民窟に合流する等しながら、旧穢多身分らとともに、そして将来的には、アイヌ、沖縄人、朝鮮人、中国人らとともに、人が嫌がるきつい仕事をさせられ、帝都東京の建設を担わされました。被差別身分からならば、露骨に搾取ができる、この構造は弾左衛門制度時代にはなかった様にも思います。それは反逆により弾左衛門の命そのものを危うくした事であろうし、そもそも、資本主義が賃金労働者を搾取して富を集積していく時代が到来したからだと言えると思います。

 つまり現代、少年男性が野宿の仲間を乞食だ浮浪者だと言って襲撃し、延べ平均一年に一人殺されるのは、労働者階級のもつ歴史とその少年が断絶させられたところで起きており、その少年は新自由主義の拡大による格差の拡大の中で、希望をもって労働市場に参加する事ができないから、だから野宿の仲間を襲うのだと思います。私はそれは、襲撃少年が抱える自立という概念へのジレンマによるものだと思います。少年男性から成年男性になるに当たって、身分が高い職は、コネがあったり高学歴の少年が全てもっていってしまうが、自立せねばならない。所得が低いと、結婚し家長になることもできない。では自立とは何かという無理難題を押しつけられたとき、市民社会の中で自立更生の対象とされている、野宿の仲間。市民が差別する野宿の仲間が少年と同じ地域で生活しています。まさにスケープゴートです。

 失対労働者に対する国のネガティブキャンペーンによる失業対策事業の打ち切り、それによる全日自労の解体、国労組合員に対するネガティブキャンペーンによる国鉄民営化と総評の解体、これら労働者が自身の階級の歴史から切り離されていく国策に比例して、野宿者襲撃事件が増大してきたことも、見過ごすことはできません。

 東京五輪は私たち労働者解放の願いに何ら寄与するものはありません。戦前、富国強兵と国威発揚のための幻の東京五輪の誘致のために、江東区枝川へと朝鮮人バラックが強制移転させられ、戦後建設され街のシンボルとなった朝鮮学校に「土地を明け渡せ」と迫った当時知事であった石原慎太郎氏は、今回の東京五輪誘致の立役者です。オリンピックで景気が良くなり日本が元気になるという幻想をふりまく復古主義右翼、その尖兵であるJSCによる仲間の住居に対する強制執行を私は、怒りをこめて徹底的に弾劾します。たとえ2020年に東京五輪開催が強行されることになったとしても、その聖火リレーは、私たちの世界中の仲間による抗議の渦につつまれて、徹底的に妨害がされるでありましょう。団体交渉での合意事項を一方的に破棄し、話し合いを拒み続け、なりふりかまわず仲間に襲いかかったJSCを絶対許すことができません。

 そんな極悪非道、悪魔最悪JSCに、反撃する仲間のみなさんの様子を弁護士から聞いて、私は励まされています。外苑前を埋め尽くすスワローズファンに向かって、懸命にビラを手わたす姿や、JSCの門前で職員にシュプレヒコールを叩きつける姿、裁判所前で炊き出しをしたり、公園でみなでメシを食う姿を目に思い浮かべると、この闘いこそが、日本労働者階級の解放への筋道を指し示す闘いであるという確信が胸に込み上げてきます。生存権を否定するカリコミ特措法であるホームレス自立支援法にいまだに幻想を抱いている、労働者運動を装った職業活動家集団やJSC・役人・市民などから「自立をしろ」などというお説教をされるいわれは私たちには更々ないのです。

 この大失業時代において、明治公園現地は、競争に疲れ果てた労働者同士が、出会い直し、労働者としての尊厳を取り戻す場として、老若男女、出自も身分も所得もちがう様々な人間が集う、色彩ゆたかで人情あふれる場所として、閉塞感に覆われた東京の中で、光り輝いています。そこに一歩足を踏み入れると、人が人を搾取することのない社会を展望することができ、仲間とつながることで差別と闘う事ができるのだという元気がわいてきて、世界中の仲間に会いたくなります。明治公園から世界が見える、このせちがらい東京の中でのまさに革命の聖地と言える場所だと思います。そんな素敵な場を育んでくれた明治公園のみなさんに、心からの感謝を込めて、私の意見とかえさせてもらいます。

 ともにがんばりましょう。ご清聴ありがとうございました。