1月22日(日)の原宿駅出発の反五輪の会主催「五輪ファーストおことわり!オリンピックやめろデモ」で受けた逮捕弾圧を当該Cから報告する。おかげさまで勾留を付けさせず48時間の検事パイ(※1)でスピード奪還、弾圧粉砕。今回の逮捕弾圧による身柄拘束の短い期間に特筆すべき点が幾つもあり共有・報告。
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80名を超す私服公安が不当な監視をする中、正午出発した反五輪デモに参加し12時35分、表参道交差点で、突然目の前に私服公安があらわれ、拡声器を持っていた腕を引かれ、デモ隊列から引き抜かれ倒され地面へ押し付けられる。警備警官は抗議するデモ隊を突き飛ばし分断。公安数人がかりで手脚を持ち上げ、対岸歩道に運搬。手足を捻り上げ護送車に。赤坂署へ拉致。
容疑は「公妨」。後の検事調べで見せられた<被疑事実>によると「『お前ら出て行け』などと叫びながら警視庁赤坂署巡査長・小島祐司(38)の左上腕部に右肘を押しつけたり、右肩を押しつけて暴行し、同巡査長の職務の執行を妨害した」のが容疑だそう。何が暴行か? 警備警官がデモ隊を圧縮をかけてくれば、いつでも「肩を押しつけ」る状況は生まれる。警視庁によると不当に体を押し付けてくる警官から踏ん張れば「公妨」だそう。しかも逮捕拘束から十数分後、デモ隊に帯同する警備警官に公安が「目の前にいた?」と聞いて回る動画が記録されている。「暴行を受けた」被害者を逮捕後に探してまわる被害の捏造、まさしくデッチ上げという他ない。
取調べ室で弁解録取(弁録(※2))に連れ込まれる。弁録開始前に「救援連絡センターの当番弁護士に連絡を取れ」と要求。無視し弁録を開始しようとするので、「連絡しろ」と連呼。連絡がつくまで弁録は拒否。机をはさみ刑事と私。机の上に調書作成用のノートパソコンがあり、連絡確認待ちの間、刑事はおもむろにキーボードを叩く。身を乗り出し上からモニターを覗き込むと「黙して語らず」等の記載。こちらが黙秘することを見越し、まだ開始もしていない弁録調書作成。刑事、慌ててノートパソコンを閉じる。取り調べていない内容を記載した調書、まさに冤罪の温床「取調べ室」。調書作成は赤坂署警備課警部補・川上。衣服を押収に来た刑事は本庁公安2課・稲見裕彦。
弁録を始めさせず、先に指紋採取と写真撮影。指紋採取モニターの前に座らされる。モニターには名前や生年月日などを打ち込む項目が並ぶ。刑事おもむろにキーボードをはじき、私の戸籍名、生年月日を打ち込んでいく。とんだ茶番。取調べで形式的に氏名生年月日を問うが、普段から個人情報の収集を行い、把握した上で狙い打ちし逮捕に及ぶ様があらわ。不当逮捕には協力しないと、指紋採取のガラス板の上に指を押し付ける。モニターに映る指紋は真っ黒に潰れ、公安5名がかりで、私の手と腕を押したり引いたり、公安汗だくで悪戦苦闘。警視庁のデータベースにはお粗末な指紋データが保存。お次は写真撮影。日付のかかれた文字盤を前に立たされる。背を向け立つと、またぞろ刑事殺到。私の体を両脇から持ち上げ宙吊りするも、重心を落とし下を向く。顎に手をかけ前を向けようとするも、シャッターの瞬間、顔を上に仰け反り、腕で顔を塞ぎ、抵抗の記録を残す。
12時35分に拉致されるが、留置は18時。昼飯を食い逃す。留置手続きの際、検査を受けるが、屈辱の尻の穴検査はなし。留置規定が変わったか? 通常は朝だけだが風呂場でシャワー。「よく洗え」と言われるが、すぐに「出ろ」と留置官が呼びに来る。窓から激励の声が聞こえる。デモ・集会を終え、約30名が遠路歩いて来てくれたよう。有難い。留置官が呼はなければ水音で気づかなかった。裏目。
留置房は二人用の房に一人。雑居房に入れると取り調べが拒否れることが広まるのを恐れてか好待遇。通常、1日目の夕食後も取り調べ呼び出しがあるが、無し。楽しみは飯しかないので寝る。
2日目、1月23日(月)、さあて取調べ拒否って、ゆっくりするぞと寝て待つが、取調べ呼び出し無し。どうも様子がおかしい…。骨休めで日中ぐっすり眠る。おかげで消灯後、なかなか寝付けず。
3日目、1月24日(火)、48時間の検事調べの押送。これは刑事訴訟法条文(※3)に「48時間以内に検察官に送致する手続をしなければならない」とあり、強制と解され、拒否できないと知っており、呼び出しに応じる。
房を出ると留置官が多数いる。そこで押収品目録を地検に接見に来る弁護士に渡すので持参したい旨伝える(前日、留置官のミスで宅下げできず)。大扉の小窓越しに「本部に確認したが駄目だ」との返答。「以前できたが、なぜ駄目なのか法律の根拠について答えろ」と伝えると、背後の留置官が急に「逆らうのか」と怒鳴り出し、周囲の留置官が一斉に襲いかかる。地面に引き倒され、うつ伏せに制圧。多数の留置官に組み敷かれ、拘束具(※4)のベルト手錠と足錠を慣れた手つきでギリギリ締め上げられる。締め上げ方が人体に行うものではない。ベルトで締め上げた痕が1週間経った現在も手首にクッキリ残る。度を越している。「暴れるな」と怒鳴る留置官。なんもしとらんやろ、と呆れる。他の房からも見える位置で、昨年「3・2明治公園A弾圧」と同じ茶番が繰り返される。
留置所大扉が開くと大量の留置官と公安刑事がずらり舌なめずりし待ち構えている。20名はいる。捜査留置分離の原則はどこへ行ったのか? 身動きすると激痛の走るベルト手錠できつく縛られ、動けない私を乱暴に引き摺り出し、用意周到に置かれた車椅子に乱雑に載せる。逆らったから制圧拘束されたのではなく、事前に計画された策謀であることは車椅子が用意されてたことからも明らか。荒い筋書き。公安に取り囲まれ、エレベーターで下ろされ、押送車に押し込まれる。後部座席両脇には制圧をかけた留置官。目が血走り、いきり立っている。車内で「血管が締まり手の感覚がない、緩めろ」と伝えると「うるさい」と膝を拘束具にぶつけてくる。激痛が走る。未決の人間に無茶苦茶する。手はベルト手錠で絞められドス黒く鬱血。指先は膨れ、動かない。凍傷のような激痛。
地検地下駐車場で下ろされ、地下道を車椅子で運ばれていると「自分がやったことの結果を思い知れ」と決め台詞らしきものを吐く留置官。滑稽。押収品目録持参要求の結果が拷問。留置官の頭の中では、己が手を下した行為の辻褄が合っているのか? 検事呼び出しを待つ同行室と呼ばれる檻の部屋に入れられ「もう逆らわないか?」「言うこときかないから、こういう目にあうんだぞ」などと勝ち誇り、説教を始め、拘束具を外して欲しくば屈服しろと迫る留置官。「アホ言うな。『法的根拠を示せ』が『逆らう』て、どんな頭してんねん」と不服従。檻の外から見ていた上役留置官が「もういい、喋るな。外せ」と指示。同行室に着いたら拘束具を外す筋書きだったのであろう。開錠、通常の手錠に交換。長時間の血管圧迫で後遺症が残らないギリギリで外す事は予見していたので恐怖はない。(逮捕連行時、腕捻り圧迫に抗議すると「30分は大丈夫だ」の返答。講習でも受けているのであろう)が、何も知らずベルト手錠をされると腕の血流が止められ、指が動かせなくなり、壊死するのではないかとの恐怖を受ける。えぐい拷問。拘束具はあくまで手足の稼動域を制限する用途のはずが、激痛と恐怖を与える拷問器具として自覚的に運用する警視庁。
同行室で待たされる間考えたが、通常の刑事調べの呼び出しがなかったのは、取り調べ拒否をされると強制できないので、強制力のある48時間目の検事調べで拷問を加え、取り調べを拒否をすると酷い目に合うと恐怖を身体に植え付ける作戦ではないかと思い至る。なりふり構わぬ拷問まで持ち出す、それだけ警視庁は「取り調べ拒否」の抵抗が効いている証拠だ。てっきり検事調べを拒否ると予測し制圧拘束のシナリオを用意したが、すんなり出房に応じた私に無理やり難癖をつけ制圧拷問。シナリオが破綻している、滅茶苦茶。実行する留置官は無理な自己正当化を行い、少なからず精神の破綻を来たすであろう。軍隊と同じ。
10時頃、東京地検に連れて来られたが、検事からの呼び出しは昼食のコッペパンを挟み13時。検事は南智樹。検事調べは大抵、こちらが黙秘していることを良いことに検事がふんぞり返り説教するのが通例と思っていたが、今回の検事は「反論があれば言ってくれて良いんだが。けど黙秘だよね」などとえらく弱気。最後に「じゃあ、これから地裁に送るか検討するから待っていて」と再び地下の同行室へ。
地裁に送るとは勾留の請求(※5)、10日間の身柄拘束の延長。同行室でどうせ勾留でしょ、期待しないしないと待っていると、14時、交代した別の留置官が「(赤坂)4号帰るぞ」と腰を上げる。思わず「ん? 地裁ないの? 何? 釈放か?」と問うと「馬鹿、言える訳ないだろ」と留置官。「じゃあ、聞き方変える。今晩夕食あるの?」と質問変更。「食べたいのか? ねえよ、これでいいか」と留置官ニヤリ。いやいや油断はならねえと自制しつつも、頭の中は煙草、タバコ。赤坂署に戻ると公安、留置官が約20名ずらり。再び房に戻される。「ん? 釈放やないんけ?」気持ちは、はやり留置官を呼んで問うと「書類を待っている」との返答。16時、カゴを持った留置官が現れ釈放。
会議室で預かり品と押収品の返還手続き。預かりの煙草を奪還し、制止を振り切り喫煙室へ。ついてきた公安が丸めた紙を持ち何やら言いたげ。「なんや追逮捕か?」と問うと、書面を手渡される。押収品目録。日付は「1月24日」の今日。自宅へのガサ。押収したのはビラやら、電気料金請求書など取るに足らない品6点。家主や隣人に私が逮捕されたことを報せることだけを目的とした居住を脅かす嫌がらせ。
3日ぶりの喫煙後、押収品の還付手続き。サインは全て留置番号「赤坂4」、印鑑欄はバッテン。赤坂署の正面玄関まで公安共がゾロゾロついて来るが、目を合わせず、腰が低い。
と、取り調べ呼び出しが一度もない奇異な弾圧でした。
なぜ短期奪還となったのか? 救援会の仲間と合流し分析。ちょうど国会でオリンピックと抱き合わせの共謀罪審議が始まり、「余計なことをするなと内閣府あたりから横槍が入ったのでは?」と。ありうる話。また、救援会から赤坂署へ抗議電話の呼びかけがあり、赤坂署に抗議電話が殺到したに違いなし。ありがとう。
活動現場に戻ると、共にデモ参加した仲間が聞きつけ駆けつけ「ヨンパチ(48時間)で出たか。もっとかかると思ってたぞ」などと談笑。昨年4・16明治公園弾圧当該Bが「傍で聞いていると、パチンコの話にしか聞こえないぞ」ととぼけた感想。卑劣な弾圧にも動じず、のどかな我ら抵抗現場。頼もしい。
以上、被弾圧報告。ありがとう。弾圧粉砕!五輪粉砕!闘争勝利で共に闘うぞ!
※本稿は、『救援』(救援連絡センター刊)2月10日号に掲載された「1・22反五輪デモ逮捕弾圧 被逮捕者と支援者の共同の反撃で奪還 赤坂4号からの報告」の基となった原稿に、注釈を加えたものです。
———————————————(注釈)
※1【検事パイ】処分保留で検察官が被疑者を釈放すること。「パイ」は、釈放の隠語。「検パイ」ともいう。
※2【弁解録取・弁録】警察に逮捕されたときに、かけられている嫌疑に対して、拘束者に弁解を述べさせ、書類としてとりまとめること。刑事訴訟法203条1項で規定。
※3【送致手続】刑事訴訟法246条(司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、この法律に特別の定のある場合を除いては、速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。(以下略))及び、刑事訴訟法203条1項(司法警察員は、逮捕状により被疑者を逮捕したとき、又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取つたときは、直ちに犯罪事実の要旨及び弁護人を選任することができる旨を告げた上、弁解の機会を与え、留置の必要がないと思料するときは直ちにこれを釈放し、留置の必要があると思料するときは被疑者が身体を拘束された時から四十八時間以内に書類及び証拠物とともにこれを検察官に送致する手続をしなければならない)。
※4【拘束具】医療・介護の現場で使用されているものに似た身体の自由を制約するベルト状の器具。名古屋刑務所事件(2002年)では、革手錠による締め付けが原因とされる受刑者の死亡事件も起きており、警察の留置所や刑事施設(刑務所・拘置所)での、身体拘束の目的を逸脱する懲罰的な使用が問題となっている。
※5【捜査留置分離の原則】刑事被収容者処遇法第16条3項(留置担当官は、その留置施設に留置されている被留置者に係る犯罪の捜査に従事してはならない)。日弁連では、同法条文に対して「犯罪の捜査に従事する警察官は護送業務を含む一切 の留置業務に従事してはならない」と改正すべき、と提言している。